「難しい状態です。このままだと意識が戻らないかもしれません。手術をすることは可能です。しかし、五分五分です。上手く行っても、予後は分かりません」
両親、義両親、祖父母、兄弟姉妹が救急搬送されて、医者からそんなことを言われます。
さあ、どうします?
緊急事態です。猶予はありません。
手術をして、成功と回復を期待するか。意識が戻らない可能性がありながら、余生を静かに送ってもらうか。殺すか生かすか、決断はあなた次第。
つい昨日まで、あるいは一時間前、もしくは数分前まで普段通りに生きていた人です。明日も変わらずあるだろうと、本人はもちろん、みんなが思って接していた人です。
それがいま、あなたは医者から判断を迫られる状況にある。
なんてなったら、大体の方は成功と回復を期待して手術を選択するのではないでしょうか。考えることもなく、迷いもせず。その瞬間から、介護が必要になるということを考えず。
事情があって、祖母を私宅で5年ほど介護しました(既に他界)。いま、義両親を介護し、母も介護予備軍にいます(父は他界)。私も連れ合いの兄弟姉妹も、遠方地にいるため、直接の支援は期待できません。連れ合いは介護離職状態です。子供は大学生が2人。
誰に向けてでもありませんが、お願いがあります。
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介護されている人に会いに来たときに泣いてくれるな
介護される側は(みんなとは言いませんが)滅多に会わない親戚縁者を有難がります。「ありがとう」といって泣きます。来る方も(みんなとは言いませんが)泣く人がいます。私がひねくれてるのでしょうけど『そうやって泣いてりゃ、ありがとうなんて言われるんだから安いもんだよな』と思いながら見てます。「よろしくね」ときたら『何を?』と思っています。
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介護離職を心で理解してほしい
主に高齢者の方、あるいは早くに親を亡くして介護の経験がない、あるいはほとんどない方。多くは介護離職を知っていているものの『頭では理解してても心では追いつかない』状態で、いざ自分の親(あるいは兄弟姉妹)が介護状態になったときに、同居、近場にいる者に「面倒見るんでしょ?」的な感を押し出します。介護の経験がない人ほど、押し付け感は強いです。
私は状況等々から、私一家が中心になると決めていた(祖母は想定外でしたが)ので周りの圧力は感じるほどではありませんが、親戚では聞きます。
施設に入れるなら入った方が安心です。身内じゃない方が上手く行くことも多いです。
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胃婁は諦めた方が良い
ほぼ寝たきり。本人の意識はほとんどない。自分の意思では判断できない。
というような状態で『胃婁』となったら、諦めた方が良いんじゃないかと思います。脳死は生か死か?というのは聞きますが、本人の意識がほとんどない状態の胃婁も、近いものがあるような気がします。
祖母の死期が近いときにそうでした。このまま静かに待つか、胃婁にするかの判断の際、母は「胃婁なら…」と思ったそうですが、伯母が「ほとんど寝ているとはいえ意識があるなら」と言ったことで、胃婁が決まりました。祖母は半年近くを夢の中で過ごし、105歳で亡くなりました。
伯母からすると、自分の母親を無下にするようでしのびないと思ったのでしょうけれど、食べる喜びもなしに、強制的に生かされているのもどうなのかと、見ていて思いました。生きているとは何ぞや。
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明日は我が身と思う
『私は誰の迷惑もかけない』と言って運動に励んでいる方もいますが、甘い。運動の習慣があっても、疲れやすくなり、回復も遅い。怪我もしやすくなり、回復も遅い。予想より遅い回復と、予想より早い衰え。一度休ませた筋肉と体力は、なかなか戻らない。理想と現実の差が大きいほど、気持ちに来ます。
人は息をしているだけで迷惑を掛けている。老若男女問わずです。そして死期は選べない(自死も殺されたようなもの)。必ず誰かの世話になります。
「長生きしてほしい」その瞬間から、彼の人生はあなたにある。私にもある。
「長生きしたい」その瞬間から、あなたは必ず誰かに迷惑をかける。私も迷惑をかけている。いまも。
人生というやつは(自分画伯)
話がまとまってなくて何ですが「迷惑をかけないぞ」といって自分でどうにかしようとしても、集団社会の中では、そのこと自体が迷惑ですしね。実はこれがいちばん厄介なんだよな、なんて思ってます。私にその傾向があって、頑張った結果、もっと状況が悪くなるなんてこともあります。持ちつ持たれつ。
まとまらないついでに話が変わっちゃいますが、持ちつ持たれつの加減が上手いか下手かって、生きていくうえで重要なんじゃなかろうか。私自身は下手な気がします。そして、下手なのは自分に自信がないからなんだろうな、なんて思いもします。プライドもそうだろうし。生きるって難しい。