息子は中学2年まで、けっこう真剣にサンタクロースを信じていました(現在19歳)。
小学3年生の頃は「父さんも母さんもケチだから、サンタじゃないよね?」と聞かれました。ケチとは何だ。一年通して金欠なだけだ。
小学6年生の頃は「僕の部屋の前を、砂利を踏む音がした。あれはサンタに違いない」と言ってきたこともあります。息子の部屋は通りに面しておりません。
サンタじゃないよ、きみの気のせいだ。そうでなければ泥棒だ。あるいは幽霊。それはきみ、ちょっと穏やかじゃない。
娘は、とうにサンタの幻想から目覚めていたそうですが、存在を消してしまうとただで物を貰えるイベントがなくなると悟っていたようで、弟にあわせて高校生まで信じた振りを貫き通したそうです。息子がサンタの存在を疑い始めると、私を貶めてまで息子に信じ込ませていました。
さて、ある年のクリスマス。
息子が欲しがったのはラジコン。たまたま「Amazon」で見たラジコンを気に入り、熱望しました。それが最後の1個。
ネット通販で最後の1個というのが何とも気になる。残り物には福があるとは限らない、何とも嫌な感じがするもんですな。
そして迎えたクリスマス当日。息子は希望通りのラジコンが手に大喜びだったのもつかの間、動かしてみるとなんてこったの初期不良。嫌な予感が的中です。
ガッカリする息子を目の前に、Amazonに問い合わせないと駄目だなぁとかなんとか言って、息子の目の前でサッサと問合せの手続きを始めたのは父親である私。
ショップに問い合わせた結果、最後の1個で替えが無いから返金するとの回答。
この回答をもって「他の物で良い?」と普通に息子に聞く父親である私。
「サンタが持ってきたはずなのに、なぜAmazon?」
「サンタが持ってきたはずなのに、なぜ違うものに?」
この点、知恵のあるお子さんは気付くのでしょうか。
そして慎重な親御さんは、矛盾のないように会話を進めるのでしょうか。
何も気にせず違うもので良いといった息子には大変助かりました。これをもってサンタの幻想から目覚めたなんてこともありません。
一方、現実的な対応を子供の目の前で遂行した私は、底抜けの間抜けと言って良いでしょう。
最近、過去のことを良く思い出します。死期が近い。
ビルの輪郭が良い感じにぼかせたと思ったら、載せるとそうでもない…(自分画伯)
サンタの服の、色のルーツを聞きますと、世の中はすべからく金だなぁなんて思います。夢がない。夢が。