人生何でも二刀流!

恥もせずに25年振りに剣道復帰。中年のボテ腹抱えてヨタヨタランニング。下手な競馬。痩せない言い訳ダイエット。いまさら自分の性格を持て余し、適応障害になるやら癌になるやら。自分に甘くとことんぬるい、人生に行き迷う私とあなたのブログです。

【適応障害】義務と権利で悶々とする

ここ最近、私のアカウントのTwitterに、幾らか過激な内容のTweetが入るようになりました。何かについて一つ調べると、本当に似たような内容が、一気に入ってくるんですね。エコーチェンバーとはこうして起こるのか。

 

 

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いままで大して注目もしていなかったのですが、少年革命家を名乗る某少年が、クラウドファンディングで集めた資金が枯渇しそうで云々からの、一連の流れが記載された記事がTwitterに入ってきました。何をもって何を成すかは本人次第で、彼を支援したい方がいるから成り立つのであろうから、それはそれで良いとは思います。しかし計画が頓挫しそうになったからの理由で、物乞いはイカンだろと思うのです。イカンだろ。それなりに目指すものがある者として、何も返さないけどくれというのはどうなんだ。などと偉そうに言ってしまって何ですが、とはいえ物乞いはイカンだろ。本人はそれで良いのか?良いのか。だからやるのか。

 

義務教育の義務を放棄して、教育を受ける権利を放棄したという自覚があるのかないかのか。何かをするなら義務が生じ、それによって権利を得てというのは知ってるのか知らないのか。生きていくうえでの知識と知恵は、学校だけでなく実地で感じていくことも多かろうと思うのです。それを本人が感じ取るに至らないなら、周囲の支援者が補佐するべきではなかろうかと思うのです。擁護だけではなく。内輪で盛り上がるだけでは、小物で終わってしまうのではなかろうか。

 

二人でラーメン屋に入って、一人だけが注文して結果的にシェアしたという話題も見ました。その後のラーメン屋の対応に賛否両論とありましたが、飲食店に入って、何もいらないというのも無いでしょう。店の義務と権利、客の義務と権利があるだろうと思うのです。

数人で入って、そのうち何名かが注文せずを良しとするならば、店側も対応せねばならないでしょう。客の腹具合に応じて細かくオーダーを聞くことを、店主が善意として良しとすることや、予め半量を用意することで利益が出ることならともかく、手間をかけてまで客に合わせる義務は店にはないでしょう。件の客の権利を良しとするなら、席についただけでチャージ料、お通し料、サービス料といった名目の代金を請求されるようになるのではなかろうか。居酒屋と同じように。

 

権利ばかりを主張し、その権利が通れば何かしらの義務が生じ、世の中が窮屈になるのではなかろうか。とはいえ、それが洗練された社会であるのであれば、確かに昔に比べるといまは洗練されているとは思いますけれど。

そんなふうに義務と権利は対ではなかろうか。なんてことばかりを意識してると、自縛となって泣き寝入りすることが増えるやら、鬱々としはじめるやらですけどね。

 

マンガでもあるまいに(自分画伯)

 

ときに、ブレイキングダウンの選手がオーディションの場で椅子で殴って流血させて、猛省した挙句に二度と出ないと言っている記事も見ましたが、今後もこれに懲りずに出るべきでしょ。ほかで活躍できなくて、そこが活躍できる場であるのなら、反省して学んでいくしかないでしょう。なんて思います。もとの活躍できないところに、いまのままで野放しにする方が、色々と損でしょう。社会的に。反省して学んで強くなれば良し。個性も含めて丸く収まってしまったら、それはそれだけのことだったということでしょうし。

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