所属の会の先生が七段に合格したことを受けて、ちんまりとした祝いの席に出席しました。
外部の先生が出席されていたのですが、聞けば私と同じ中学の出身とか。私の顧問の先生のことも知っていました。
誰がいたか名前を挙げてくれと言われ、私の世代は全滅なので前後の学年で名を挙げたところ、先輩後輩の数名を知っているとのこと。
どうやら私の世代以外は部長がしっかりしていたようですな。
私の世代の部長はからっきしでイカン。誰だ全く。
さてその先生からは、これから色々とよろしく、皆にも伝えておくと言われました。こういった縁は有難いような末恐ろしいような。
地元が長いとこうなりますな。
何も考えまい。ただ風のことだけを考えていよう
今回の稽古は攻め込んで困らないようにと思いつつ挑みましたが、やはりジリジリと間合いが詰まると焦って来まして、何かしなきゃならんと。
追い詰められると力んでしまい、遂に踏み込みのタイミングまでずれてしまいました。
攻めが無いので担ぐでもなく、相手に対して調子を外したフェイントのような形に。姿勢も崩れているし、これではいけません。
これはもう力まないようにと思うことで、力むことが直らぬ癖だと自分に無意識に刷り込んでいるんじゃなかろうか。
何も出来ないまま間合いが詰まった時に脱力を意識していると言うことは、その時点で既に力んでるんでしょうな。
こうなったら無です。虚無。無の境地。虚無僧。
時代劇で見る、虚無僧がすれ違いざまに襲い掛かるアレです。
この場合、襲った方が返り討ちにあいますがそれもまた良し。
安心いたせ峰打ちじゃ。
登場させておいて何ですが、虚無僧は関係ありません。
何事も色々と余計なことを考えるからいけない。
相手が動けば良いんです。あらよってなもんです。
そこをポイと入ってヨッと面を打てば当たります。造作もない。
クテクテ考えているからイカンのだ。
なんて、そんな簡単に上手く行きませんけどね。
無の境地は高難度ですが、竹刀の握りが相も変わらず堅いので『余計なことはしない』と言うことを心掛けようと思います。「しない」だけに。うひひ。
余計な攻め、余計な思考等々は無しと決めます。
思い付きですが掛かり稽古をすれば、入るタイミングとか姿勢の矯正とか出来そうな気がします。しかし一般になるとその機会も皆無に等しく、わざわざお願いすると言うのも。
ボエ~♪気配を消して襲い掛かろうとするも…(自分画伯)
虚無僧への喜捨を断る時は「手の内ご無用」と言えば良いそうです。
そう言えば托鉢僧も見ませんね。一時期、偽托鉢僧なんてのもいましたが…
こんなのも売っているとは。
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トルーマン・カポーティ
「最後の扉を閉めて」(「夜の樹」より)
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