何かと力がはいるので「無」であるべきという意識をもって稽古に挑んでおります。今度は意識しすぎて無能になってきたような気がしています。
と言いますのも、段位が上の先生方(特に代表)と稽古していて、何も言われなくなったんです。注意を受けないなんて目出度いことだと思っていましたが、直近の稽古で、己がつくづく呑気であることを痛感しました。
手足がバラバラでしたね
手足がバラバラ。殺人事件。怪談話。犯人はお前だ。
さておき「隣で〇〇さんと稽古してたのはピーマンさん?手足がバラバラでしたね」と言われました。
この言葉、お相手の先生に言われたのではありません。隣で稽古をしていた方が、私を横目で見たときの感想です。
横目でチラと見ただけで、手足がバラバラと言われるとは。
しかも「四段、大丈夫ですか?」と止めを刺される始末。ぐはぁっ。
この日の稽古も「無」を意識していたのですが、攻めてるんだか、単純に間合いを詰めてるのかサッパリ分からず。
詰まった間合いから動けず、虚を突かれる、アッサリ崩される、などなど。
良い所がサッパリありません。
唯一、同じくらいの技量のかた達には、小手が当たりそうな気配を感じて、小手で何本か当たったのは良かったといえなくもありません。しかし、私に限って言えば面に行けないのは良くない傾向なんですな。
何も言われないのは目に入っていないことと同じ
自主的な稽古自粛期間から明けての数回、先生を始め、特に良くも悪くも言われていません。まあそつなくこなしているのかなと思っていたのですが、何もないというのは何の印象も無いということなのではなかろうか。
ここ最近の「無」を意識した稽古は、まさしく無にして何もなし。
当たり障りも無し。何の脅威もなし。印象もなし。毒にも薬にもなし。やる甲斐なし。相手にする価値に無し。
何の脅威にもならないことは承知であるものの、もうマイナスの言葉しか思い浮かびません。
無は無でも、打突の機会を捉えられないことはもとより、簡単に揺さぶられては話になりません。「力を入れない」ことを主眼において意識した「無」ですが、アプローチが間違っていました。というか、極端にしすぎました。
何かを得ようとするなら、こちらも相手にとって無害だけでは済まないでしょう。
こちらはひとつの曲がり角どころか、いくつもの曲がり角を間違えて、常に迷い道くねくねしてますからね。良ければ良い、悪いなら悪いで反応を得なければ、正しい道には行けないんですな。
振返ればこんな感じのボンヤリ(自分画伯)
次からは「面」を狙いに行く。無にして面を打つ。こう定めて、何かの反応を得ようと思います。