暑いですなぁ。
私の生家にクーラーが付いたのは、1989年とか、その辺りかと思います。
合宿から帰ったらありました。
地獄の合宿から解放された事と相まって、天国を味わいました。
テレビでは「アイドル伝説ようこそようこ」だったか「アイドル伝説えり子」がやっていたような。
前者は田中陽子で、後者は田村英里子です。
田中陽子は…と、続けては話が別物になるので、またの機会に。(あるの?)
時に…『扇風機を点けたまま寝ると死ぬ』って言われませんでしたか?
扇風機で低体温症も無いだろうと思いますが、実に平和…
いまも平和ですが…更に呑気で平和でしたな。
無知の知を自覚した方が良いと言う反省
剣道は夏季休暇中で、特に打っても打たれてもいませんが…
反省です。
最近、Twitter上でASDの話題がチラチラ目に付きまして。
読めば読むほど、ああそうかと。
私が所属する会に、どうにも落ち着かないと言いますか、人の話を聞けない子がいまして。
小学三年生らしいのですが、正座が出来ない(初めから足を崩す)、帯刀が右か左か分からなくなる…なんて子がいます。
とは言え、全くやる気が無さそうな感じがありません。
親に無理矢理か?なんて思っておりました。
ところがこの間、面打ちをやったところ、綺麗に打てることに驚きました。
左足が前に出たりがありますが、他の子が竹刀が右に曲がったり、最初から右に抜けるように打ち込む所を、真っ直ぐ竹刀を振りかぶり、真っ直ぐ打ち込んで来て、目つきもイキイキとしていました。
まあ…蹲踞はぐんにゃりで、右手に竹刀を納めたりしますが…
それはさて置き、それを見たときに、この子はそういう何かしらの事情があるのかなと。
ただ単に竹刀でぼっかんと叩きたいだけかも知れませんし、突出したノンビリ君かも知れませんが、それでもメチャクチャやろうというわけではありません。
本当の事情は知りませんが、知らないとはいえ以前は「剣道はしつけ教室でもなかろうに」くらいの事を思っていました。
我ながら偉そうですね。
知らない事を知っていると言う自覚。
必要です。
反省です。
過去を疑うと言うこと
自分が経験してきた剣道を否定する訳ではありませんが、投げ飛ばされたり、理不尽に突かれたり、一度着けた面は稽古終りまで外さないとか、そう言うのは合わない時代になりました。
が、時代に合わなくなったと言うので良いのかなと思ったりします。
剣道から武士を連想すると言うのは、一般的に容易かと思います。
己が法だと自己を律すれば、無駄な斬り合い、刃傷沙汰を起こさないためにも精神修業は必要だったと思います。
とは言え、人の本質はそんなに変わらないと思うんです。
喉が渇いた、厠に行きたいと言う生理現象も暑いと感じる気持ちも、そこまで我慢したのかなと。
本身があればともかく、いまは人を斬る理由も無ければ、己が法と思う武士もいません。
そう思うと、昔の剣道(的なもの)はもっと欲求に対しては自由であったのでは無かろうかと。
本身が無ければ人も斬りませんし、精神を律する心もだらけると思うんです。
剣撃の特徴が薄れて、精神面の修行が色濃くなり…
軍国主義的な教育が伴って、未だに精神面で苦痛を余儀なくされる行動が後付けで残ってる…なんて思ったのです。
時代に合わせるのではなく…
その時々の時代に合わせる事を主体にすると、その時代に合わせて剣道も変わってしまいます。
色々と削ぎ落して、そもそも剣道ってどうだっけを強く意識しないといけないなと、ようやく気付いたと言いましょうか、思ったと言いましょうか。
面を外さないとかは恐らく「着装の時間が勿体ない。教えを乞う時間が減る」ことになるが故に、外す時間を極力減らす事かと思います。
であれば、それは自発的な気持ち(教えを乞う時間が減るのが惜しい)と行動(だから極力面を外さない)であって、師にある立場の人が強制的に外させないのは違うかなと。
「剣道とはこうである」と言うのは全日本剣道連盟の理念と心構えしか読んだことありませんし、時間が勿体ないと思わせる指導なんて、どうやってやるかなんてさっぱりです。
しかし、その教えが出来る人を、一人知っています。
嘘です。
ですが、心の中にはあります。
真に大切な物を残すと言うのは、とても難しいなと。つくづく。
いまさらな感もあり、手垢の付いた考えとは思いますが、気付かされました。
そういう衝撃に打たれて感謝と言いましょうか。
そもそも、伝統のルーツはどうだったの?
じゃあ調べてみよう!
レッツゴー!
それ!
ちちんぷいぷいぱらりんちょなんじゃらほんじゃらナールタン!
ピーマン道場の馬之助が優勝したんだってよ。
へえ~
稽古中、一度も面を外さず、水も飲まなかったってさ。
マジで!?やばくね?
厠どうしたんだ?
垂れ流しだってよ。
マジか!?最悪じゃん。
汗と混じれば関係ねえって。頭がトンチキだな。
うへえ…俺、このまえ触っちゃったよ。
エンガチョ!
うちの師範、ミーハーだから絶対面のこと言うわ。嫌だわー。引くわー。
それな。マジ勘弁。
「今日から稽古中に面を外すのは禁止だ!水もな!」
やっぱり!!
そして一ヶ月後…
こんちわー
今日からお世話になります~
よう新人、生意気そうだな。
良く言われます~てへぺろ。
言っておくが、うちは稽古中に面を外す事と水を飲むのは禁止だ。
マジっすか!?鬼っすか!?やばくねえっすか!?
っるせぇ。それが『伝統』だ!
…ほいじゃお邪魔…
おっと逃がさねえ。今日からかわいがってやるぜ。
え~
ぴえん。
うひゃ~
どんどんどんぱらり♪
もしくは…
各々方に集まっていただいたのはほかでもない。
此度、再び剣道実施の許可がおりた。
おお!
これは僥倖。
うむ。
ことにあたるに、剣道の所作、教えを定めたく貴殿たちの知恵を拝借したく。
むう。
思うのだが、本身が無ければ殺生も無く、故に精神も生温くなるかと危惧する。
剣の道であれば、これ即ち武士の道。
なぁる。
しかしそれではGHQから何を言われるものやら。
っるせぇ!メリケンなんぞ知る物か!
よっしゃ、分かった。
面は外さぬ、水は飲まさぬ、厠は垂れ流しじゃ!
いやいや、考え直されよ。
武士道とは死ぬことと見つけたり!死に向かうこそ武士なり!(←間違い)
死して屍拾うものなし!(←大江戸捜査網)
ちょ…しばし待たれよ、落ち着きなされ。
お~と~こだったら~ひとつに賭ける~♪
乱心めされた…
これだけ描くのに3時間掛かった…(自分画伯)
こんなことはありゃしませんな。
とは言え、伝統みたいな縛りはこんな感じで起こったんじゃないかなと(笑)
ふと酔狂で思ったり。
そう言えば…
私は中学三年の時に「白籠手を男子がすれば超目立つ」と思って白籠手にしました。
幾らかも知らずに。
それに感化された後輩が『部長は代々白籠手を着用する』事をぶち上げたそうで。
まあ定着はしなかったでしょう。