私の祖母は105歳で生涯を終えました。
大正生まれの祖母はいわゆる「おばあちゃん」と言うイメージとはやや遠く、どちらかと言えば女帝でした。
一般的に「孫を可愛がる」と言う点ではイメージ通りですが、見栄とプライドと世間体が優先されたため、その点では私も結構振り回されました。
介護は経験しないと分からない
様々な事情が重なり、私たち一家が実家に入りました。
当時、祖母は90歳も半ばとなっていました。
日中はデイサービスに通い、自分の事は概ね自分で出来てはいましたが、それでも老人介護はそれなりの大変さがありました。
老人は幼児と違います。
こちらが全てを提供すればその通りに物事が行くかと言うと、そうではありません。
本人が思うように行かない体を、こちらが無理に動かすわけにはいきません。
いままで生きてきた自尊心を蔑ろにするわけにもいきません。
体は硬く、力が弱く、重力にはそれなりに引っ張られているだけに、同じ思うように動けない赤ちゃんを相手にするのとは違います。
全てがスローに、時間も倍以上かかります。
待ちます。
認識違い、勘違い、記憶違い、妄言は全て否定せず、笑い話に変えられる物は変えて、あとは聞こえない振りを決め込みます。
祖母にとって娘である叔母達が来ます。
私同様、孫である三歳上の兄が来ます。
それぞれの事情により、あまり来る事が出来ないため、祖母は良く来てくれたと泣きます。
それを見て、叔母であったり、感情表現の豊かな兄も泣きます。
私としては『来て泣けば感謝されるとは気楽なもんだな』と思うくらいが正直なところでした。
もっとも兄に対しては昔を共に過ごしただけに、言わんとしている所は分かります。
兄一人なら、こちらも気楽なものでしたが。
人は一人では生きていけない
自分の体がかくしゃくとしていれば不自由はありませんが、老体には何をやるにも思うように体が動きません。
祖母は良く『こんなになっても生きてるなんて、何の罰があたったやら』と言っていました。
初めて聞いた時には衝撃でした。
この期に及んで死ねないと言うのは…長生きとは、果たして。
祖母は女帝的気質で周りは閉口しましたが、激動の生涯を送って来たことを思えば、罰があたるのはあてる方の見当違いという物です。
この言葉を聞く時は、さすがに黙っているより他はありませんでした。
肉体の不自由さは事実です。
罰があたったかどうかは否定されるべきですが、祖母の半分も生きておらず、肉体の衰えを知らない自分に否定できるはずもありません。
大先輩に「そんなことないよ」と言ったところで嘘くさいだけです。
不自由さは否定出来ないところで、罰に対してのみ否定するには言葉が足らず、表現の知識も満足ではありません。
私は何も分からない。
必殺『聞こえない振り』です。
一時期、顧客先に一度定年となり、嘱託社員として働いている女性の方がいて、よく話す事がありました。
何かの話題から老い先の話になり、先のエピソードを話したところ、猛烈に批判されました。
ただ私は生きる事の難しさを痛感したと言いたかったのですが、表現が不味かったようです。
私一家の世話の仕方がぬるいと感じたのか、私自身を冷たい人間だと思ったのか…
その方は『絶対人の手は借りない』『ましてや子供たちに迷惑もかけない』と言っていました。
人は息しているだけでも人に迷惑を掛け、必ず誰かの手を借りていますし、借りざるを得ません。
時代は進化し、脳も体力も衰え、勝手に死ねない以上、女性の言ったことはまず無理です。
そう思うと同時に、介護とは無縁だったのかなと思いました。
老人には厳しい
世間が厳しいのは全世代に於いて当てはまる事とは思います。
確かにご老人は元気です。
この御時世、宵の口からマスク無しで酔っ払って大声で話すのも、概ねご老人であるし、何の配慮も無く各地を庭の如く闊歩しているのもご老人。
私の親族にもいます。
しかしながら、老人にとっての存在価値とは何ぞやと思うと、いまこの時については容易に思いつかないのではと、極端な事を言えば、そう思います。
ひとつの事ですが、過去でいえば「お婆ちゃんの知恵袋」的な事がありました。
生活の知恵や、世事の対応、マナー等は、長生きした人の経験が活きます。
しかし、いまとなってはインターネットで済みます。
長老と言う存在はいまやネタでしかなく、老害とまで言われます。
昭和の時代は既に野蛮です。
何かの申請には端末操作が必要で、知らなければ手続きは遅れるばかり。
リモート云々であったり何であったり、全て「本気の老人」には理解不能かと思います。
グローバル化は進み、他国の文化が入り、ルールは益々複雑化し、リベラルの上辺をなぞって右往左往し、道徳は先鋭化され、桃太郎は悪者になり、仮面ライダーは法廷で争い、我々世代が老害となる…
高齢者は我儘です。
自分達が思うように生きた記憶を引きずり、いまに適用出来ないがために、生活の楽を求めます。
しかし、この生き辛さのなかであれば、心に余裕なんて無かろうなとも想像します。
私は大相撲中継や野球中継に現を抜かす老後を目指しています。
私が幼少の頃は、どのご老人でも概ね当然のように見られていた光景が、定年退職や年金が事実上無くなっているいま、目指さなければ実現すら怪しくなりました。
国の為に生かされ、国の為に生きている…なんていう事も思ったりします。
使命ではなく、やらされている感覚が近いと言う感じで。
私の寿命がいつまでかも分かりませんし、晩年にどう思うかも分かりません。
ただ、生きているにしろ、生かされているにしろ、自ら定めた使命があれば良いなと思います。
それが大相撲中継や野球中継に現を抜かす老後であっても。
何かの時に描いてお蔵にし…せっかくなので、ここで(自分画伯)
そう言えば…
晩年、祖母は強烈な童謡を歌っていました。
何の説明も無しに「歌ってみた」とか動画で流したり、歌詞をTwitterに載せたら大炎上必至なほど、差別用語のオンパレードです。
上手いことは言えませんが…
老人を大切にであったり敬老の日であったり、そんな強制的な感じは何だかしっくりきませんが、環境と仕組みでどうかこうか…
結局、老人と子供が真に元気な世の中が、一番平和なんだろうと思うに至ったのですが…
何か良い感じに…どうかこうか…思い浮かばん(笑)