人生何でも二刀流!

ランニングと剣道の趣味二刀流。2011年頃から走り始めてるにも関わらず、ハーフは2時間切れずフルは未経験(2019年11月現在)。剣道は2016年に約四半世紀振りに復活のリバ剣。過去10年の経験がありながらも未だに中学のガチャガチャ剣道から卒業出来ず右往左往。剣風って何ぞ!?そうだ二刀だ!と決めたものの師範に言い出せず、所属の剣友会以外でちょぼちょぼ二刀をやったり辞めたり(笑)意識が高いブログに刺激を受けつつも自分に対してはトコトン甘い。ラン有り剣道有り癌有り、ちょっと筋トレ有りの落ち着きのない日常。

生きるのか生かされるのか

私の祖母は105歳で生涯を終えました。

 

大正生まれの祖母はいわゆる「おばあちゃん」と言うイメージとはやや遠く、どちらかと言えば女帝でした。

 

一般的に「孫を可愛がる」と言う点ではイメージ通りですが、見栄とプライドと世間体が優先されたため、その点では私も結構振り回されました。

 

 

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介護は経験しないと分からない

 

様々な事情が重なり、私たち一家が実家に入りました。

 

当時、祖母は90歳も半ばとなっていました。
日中はデイサービスに通い、自分の事は概ね自分で出来てはいましたが、それでも老人介護はそれなりの大変さがありました。

 

老人は幼児と違います。
こちらが全てを提供すればその通りに物事が行くかと言うと、そうではありません。

 

本人が思うように行かない体を、こちらが無理に動かすわけにはいきません。

いままで生きてきた自尊心を蔑ろにするわけにもいきません。

 

体は硬く、力が弱く、重力にはそれなりに引っ張られているだけに、同じ思うように動けない赤ちゃんを相手にするのとは違います。

 

全てがスローに、時間も倍以上かかります。
待ちます。

 

認識違い、勘違い、記憶違い、妄言は全て否定せず、笑い話に変えられる物は変えて、あとは聞こえない振りを決め込みます。

 


祖母にとって娘である叔母達が来ます。
私同様、孫である三歳上の兄が来ます。

 

それぞれの事情により、あまり来る事が出来ないため、祖母は良く来てくれたと泣きます。
それを見て、叔母であったり、感情表現の豊かな兄も泣きます。


私としては『来て泣けば感謝されるとは気楽なもんだな』と思うくらいが正直なところでした。

 

もっとも兄に対しては昔を共に過ごしただけに、言わんとしている所は分かります。
兄一人なら、こちらも気楽なものでしたが。

 

 


人は一人では生きていけない

 

自分の体がかくしゃくとしていれば不自由はありませんが、老体には何をやるにも思うように体が動きません。


祖母は良く『こんなになっても生きてるなんて、何の罰があたったやら』と言っていました。

 

初めて聞いた時には衝撃でした。


この期に及んで死ねないと言うのは…長生きとは、果たして。

 

祖母は女帝的気質で周りは閉口しましたが、激動の生涯を送って来たことを思えば、罰があたるのはあてる方の見当違いという物です。

 

この言葉を聞く時は、さすがに黙っているより他はありませんでした。

 


肉体の不自由さは事実です。
罰があたったかどうかは否定されるべきですが、祖母の半分も生きておらず、肉体の衰えを知らない自分に否定できるはずもありません。

 

大先輩に「そんなことないよ」と言ったところで嘘くさいだけです。
不自由さは否定出来ないところで、罰に対してのみ否定するには言葉が足らず、表現の知識も満足ではありません。

 


私は何も分からない。
必殺『聞こえない振り』です。

 

 

一時期、顧客先に一度定年となり、嘱託社員として働いている女性の方がいて、よく話す事がありました。

 

何かの話題から老い先の話になり、先のエピソードを話したところ、猛烈に批判されました。


ただ私は生きる事の難しさを痛感したと言いたかったのですが、表現が不味かったようです。

 

私一家の世話の仕方がぬるいと感じたのか、私自身を冷たい人間だと思ったのか…

 

その方は『絶対人の手は借りない』『ましてや子供たちに迷惑もかけない』と言っていました。


人は息しているだけでも人に迷惑を掛け、必ず誰かの手を借りていますし、借りざるを得ません。

 

時代は進化し、脳も体力も衰え、勝手に死ねない以上、女性の言ったことはまず無理です。
そう思うと同時に、介護とは無縁だったのかなと思いました。

 

 

 

老人には厳しい

 

世間が厳しいのは全世代に於いて当てはまる事とは思います。

 

確かにご老人は元気です。


この御時世、宵の口からマスク無しで酔っ払って大声で話すのも、概ねご老人であるし、何の配慮も無く各地を庭の如く闊歩しているのもご老人。
私の親族にもいます。

 

しかしながら、老人にとっての存在価値とは何ぞやと思うと、いまこの時については容易に思いつかないのではと、極端な事を言えば、そう思います。

 

ひとつの事ですが、過去でいえば「お婆ちゃんの知恵袋」的な事がありました。
生活の知恵や、世事の対応、マナー等は、長生きした人の経験が活きます。

 

しかし、いまとなってはインターネットで済みます。
長老と言う存在はいまやネタでしかなく、老害とまで言われます。
昭和の時代は既に野蛮です。

 

何かの申請には端末操作が必要で、知らなければ手続きは遅れるばかり。
リモート云々であったり何であったり、全て「本気の老人」には理解不能かと思います。


グローバル化は進み、他国の文化が入り、ルールは益々複雑化し、リベラルの上辺をなぞって右往左往し、道徳は先鋭化され、桃太郎は悪者になり、仮面ライダーは法廷で争い、我々世代が老害となる…


高齢者は我儘です。
自分達が思うように生きた記憶を引きずり、いまに適用出来ないがために、生活の楽を求めます。
しかし、この生き辛さのなかであれば、心に余裕なんて無かろうなとも想像します。


私は大相撲中継や野球中継に現を抜かす老後を目指しています。
私が幼少の頃は、どのご老人でも概ね当然のように見られていた光景が、定年退職や年金が事実上無くなっているいま、目指さなければ実現すら怪しくなりました。


国の為に生かされ、国の為に生きている…なんていう事も思ったりします。

使命ではなく、やらされている感覚が近いと言う感じで。

 

私の寿命がいつまでかも分かりませんし、晩年にどう思うかも分かりません。

ただ、生きているにしろ、生かされているにしろ、自ら定めた使命があれば良いなと思います。


それが大相撲中継や野球中継に現を抜かす老後であっても。

 

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何かの時に描いてお蔵にし…せっかくなので、ここで(自分画伯)

 

 

そう言えば…
晩年、祖母は強烈な童謡を歌っていました。

 

何の説明も無しに「歌ってみた」とか動画で流したり、歌詞をTwitterに載せたら大炎上必至なほど、差別用語のオンパレードです。

 

上手いことは言えませんが…
老人を大切にであったり敬老の日であったり、そんな強制的な感じは何だかしっくりきませんが、環境と仕組みでどうかこうか…

 

結局、老人と子供が真に元気な世の中が、一番平和なんだろうと思うに至ったのですが…

何か良い感じに…どうかこうか…思い浮かばん(笑)

 

 

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