人生何でも二刀流!

恥もせずに25年振りに剣道復帰。中年のボテ腹抱えてヨタヨタランニング。下手な競馬。痩せない言い訳ダイエット。いまさら自分の性格を持て余し、適応障害になるやら癌になるやら。自分に甘くとことんぬるい、人生に行き迷う私とあなたのブログです。

生きるのか生かされるのか

私の祖母は105歳で生涯を終えました。

 

大正生まれの祖母はいわゆる「おばあちゃん」と言うイメージとはやや遠く、どちらかと言えば女帝でした。

 

一般的に「孫を可愛がる」と言う点ではイメージ通りですが、見栄とプライドと世間体が優先されたため、その点では私も結構振り回されました。

 

 

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介護は経験しないと分からない

 

様々な事情が重なり、私たち一家が実家に入りました。

 

当時、祖母は90歳も半ばとなっていました。
日中はデイサービスに通い、自分の事は概ね自分で出来てはいましたが、それでも老人介護はそれなりの大変さがありました。

 

老人は幼児と違います。
こちらが全てを提供すればその通りに物事が行くかと言うと、そうではありません。

 

本人が思うように行かない体を、こちらが無理に動かすわけにはいきません。

いままで生きてきた自尊心を蔑ろにするわけにもいきません。

 

体は硬く、力が弱く、重力にはそれなりに引っ張られているだけに、同じ思うように動けない赤ちゃんを相手にするのとは違います。

 

全てがスローに、時間も倍以上かかります。
待ちます。

 

認識違い、勘違い、記憶違い、妄言は全て否定せず、笑い話に変えられる物は変えて、あとは聞こえない振りを決め込みます。

 


祖母にとって娘である叔母達が来ます。
私同様、孫である三歳上の兄が来ます。

 

それぞれの事情により、あまり来る事が出来ないため、祖母は良く来てくれたと泣きます。
それを見て、叔母であったり、感情表現の豊かな兄も泣きます。


私としては『来て泣けば感謝されるとは気楽なもんだな』と思うくらいが正直なところでした。

 

もっとも兄に対しては昔を共に過ごしただけに、言わんとしている所は分かります。
兄一人なら、こちらも気楽なものでしたが。

 

 


人は一人では生きていけない

 

自分の体がかくしゃくとしていれば不自由はありませんが、老体には何をやるにも思うように体が動きません。


祖母は良く『こんなになっても生きてるなんて、何の罰があたったやら』と言っていました。

 

初めて聞いた時には衝撃でした。


この期に及んで死ねないと言うのは…長生きとは、果たして。

 

祖母は女帝的気質で周りは閉口しましたが、激動の生涯を送って来たことを思えば、罰があたるのはあてる方の見当違いという物です。

 

この言葉を聞く時は、さすがに黙っているより他はありませんでした。

 


肉体の不自由さは事実です。
罰があたったかどうかは否定されるべきですが、祖母の半分も生きておらず、肉体の衰えを知らない自分に否定できるはずもありません。

 

大先輩に「そんなことないよ」と言ったところで嘘くさいだけです。
不自由さは否定出来ないところで、罰に対してのみ否定するには言葉が足らず、表現の知識も満足ではありません。

 


私は何も分からない。
必殺『聞こえない振り』です。

 

 

一時期、顧客先に一度定年となり、嘱託社員として働いている女性の方がいて、よく話す事がありました。

 

何かの話題から老い先の話になり、先のエピソードを話したところ、猛烈に批判されました。


ただ私は生きる事の難しさを痛感したと言いたかったのですが、表現が不味かったようです。

 

私一家の世話の仕方がぬるいと感じたのか、私自身を冷たい人間だと思ったのか…

 

その方は『絶対人の手は借りない』『ましてや子供たちに迷惑もかけない』と言っていました。


人は息しているだけでも人に迷惑を掛け、必ず誰かの手を借りていますし、借りざるを得ません。

 

時代は進化し、脳も体力も衰え、勝手に死ねない以上、女性の言ったことはまず無理です。
そう思うと同時に、介護とは無縁だったのかなと思いました。

 

 

 

老人には厳しい

 

世間が厳しいのは全世代に於いて当てはまる事とは思います。

 

確かにご老人は元気です。


この御時世、宵の口からマスク無しで酔っ払って大声で話すのも、概ねご老人であるし、何の配慮も無く各地を庭の如く闊歩しているのもご老人。
私の親族にもいます。

 

しかしながら、老人にとっての存在価値とは何ぞやと思うと、いまこの時については容易に思いつかないのではと、極端な事を言えば、そう思います。

 

ひとつの事ですが、過去でいえば「お婆ちゃんの知恵袋」的な事がありました。
生活の知恵や、世事の対応、マナー等は、長生きした人の経験が活きます。

 

しかし、いまとなってはインターネットで済みます。
長老と言う存在はいまやネタでしかなく、老害とまで言われます。
昭和の時代は既に野蛮です。

 

何かの申請には端末操作が必要で、知らなければ手続きは遅れるばかり。
リモート云々であったり何であったり、全て「本気の老人」には理解不能かと思います。


グローバル化は進み、他国の文化が入り、ルールは益々複雑化し、リベラルの上辺をなぞって右往左往し、道徳は先鋭化され、桃太郎は悪者になり、仮面ライダーは法廷で争い、我々世代が老害となる…


高齢者は我儘です。
自分達が思うように生きた記憶を引きずり、いまに適用出来ないがために、生活の楽を求めます。
しかし、この生き辛さのなかであれば、心に余裕なんて無かろうなとも想像します。


私は大相撲中継や野球中継に現を抜かす老後を目指しています。
私が幼少の頃は、どのご老人でも概ね当然のように見られていた光景が、定年退職や年金が事実上無くなっているいま、目指さなければ実現すら怪しくなりました。


国の為に生かされ、国の為に生きている…なんていう事も思ったりします。

使命ではなく、やらされている感覚が近いと言う感じで。

 

私の寿命がいつまでかも分かりませんし、晩年にどう思うかも分かりません。

ただ、生きているにしろ、生かされているにしろ、自ら定めた使命があれば良いなと思います。


それが大相撲中継や野球中継に現を抜かす老後であっても。

 

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何かの時に描いてお蔵にし…せっかくなので、ここで(自分画伯)

 

 

そう言えば…
晩年、祖母は強烈な童謡を歌っていました。

 

何の説明も無しに「歌ってみた」とか動画で流したり、歌詞をTwitterに載せたら大炎上必至なほど、差別用語のオンパレードです。

 

上手いことは言えませんが…
老人を大切にであったり敬老の日であったり、そんな強制的な感じは何だかしっくりきませんが、環境と仕組みでどうかこうか…

 

結局、老人と子供が真に元気な世の中が、一番平和なんだろうと思うに至ったのですが…

何か良い感じに…どうかこうか…思い浮かばん(笑)

 

 

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