三ヶ月の入院後、まずは指先の痺れに慣れるために家事を担いますが、皿を三枚ほど割りました。
そう、書き忘れましたが指紋が薄らボンヤリとして、ハッキリと見えなくなっていました。
結構な事件ですね(笑)
なので皿を割ったのは、むしろ指が滑りやすくなっていたためかも知れません。
もちろん体力回復も必要です。
抗癌剤で見たことないくらいに白血球の数値が減っており、免疫力は下がっていました。
折しも退院はインフルエンザ真っ只中の2月。
外出は禁止となり、ひたすら家の中でラジオ体操をやりました。
ラジオ体操も噂に違わず、きちんとやると結構な運動です。
ランニングや筋トレ前も、動的ストレッチとして理にかなっているとか。
偉大なり、ラジオ体操。
3月も半ばになり、外にも出るようにしました。
いままで全く歩いて来なかったので、足のあらゆる所ですぐマメが出来ました。
よほど皮膚がふにゃふにゃだったのでしょう。
4月になり、会社にも復帰を打診します。
ちょうど活きの良い新入社員も入る頃で、病み上がりが担うプロジェクトは無しとのこと。
上司から「GW明けまでゆっくりして良い」と言われ、少しホッとしました。
既に有給休暇は切れており、給料は満額が出てない状況ながら、福利厚生やら組合からやらで、ある程度の補償はあるにはありますが…
今度いつどうなるかを思うと、制度に甘える別けにも行きません。
とは言え、案件が無いからゆっくりせいと言われれば、それなら仕方ないと堂々と開き直れます(笑)
5月になり、いよいよ復帰となりました。
これほどまでに仕事がしたいことと、仕事があることの有り難さを思った事は、後にも先にもありません。
そう「先にも」イコール「いまも」既にその気持ちは無い(笑)
そんな気持ちになったのは、4月の給与明細で初めて「マイナス明細」を見たからです(笑)
諸々補償の申請はしましたが、月ずれと不備があって差し戻され、おぜぜが来なかったからです。
貰え無くても引かれる物はあるので「マイナス6桁」は、ちとビビると同時に働きたいことと有り難さの気持ちに繋がりました。
相変わらず禿げ頭でしたが、退院時に知り合いの美容師さんから素敵な帽子を頂いたので、気持ち自体は意気揚々です。
そして相変わらずプロジェクトはありませんが、新人教育の補佐等、本部預かりで過ごしました。
ランニングの再開は4月です。
ランニングシューズを安いと言うだけで『ミズノ ウェーブイダテンジャパン(廃盤)』と言う『ウェーブエンペラー』が出る前の先行モデルと思われるシューズを買いました。
これを履いて走った事で、何故薄型はスピードランナー向けかを痛感します(笑)
三回履いてみて頑張りましたが、履きこなせませんでした。
兄が私のランニング復帰を聞き、有無も言わさず11月にある『小江戸川越ハーフマラソン』に、一緒にエントリーしていました。
小さい頃は昭和の男兄弟の典型で、かなりむちゃくちゃやられましたが、すっかり良い兄です。
自信はありませんでしたが、完全復活への力強い後押しとなりました。
結果は2時間7分(だったかな)で走りきれました。
15km過ぎからどうにも脚が重く、ラスト2kmの所で歩いてしまおうかと思った時に、かなり先行していた兄がわざわざ私を待っていてくれ、しかも復活記念と称して供にゴールをすると言う、感動演出のオマケ付きとなりました。
もっとも、目眩がするほど体力を出しきったので、感動どころではありませんでしたが(笑)
せっかくなので、ゴール後の写真を兄の分と共に購入して渡しましたが…
果たして今もきちんと持っているだろうか(笑)
この頃には髪の毛も「もっさもさ(←当時は)」に生え、泣かされた爪もいびつながら治っていました。
PET検査を3ヶ月毎に行っていましたが、これも問題なしとの事で、翌年からは通常のMRI検査になりました。
PET検査は医師の指示有りでも、結構なお値段(3万とかだったか…保険適用外は10万だとか)だったので、MRIに変わってこちらも一安心。
健康は大切ですね。
癌になって改めて気付いたこと、考えさせられたことは多くありました。
私個人は、死なないならどうともないくらいに思っており、自分の体だけに何となく良いか、悪いかが把握出来ていました。
しかし、周りはそうも行きません。
如何に気を使わせずに、自然に平気を見せるかと言うのは、誰に対しても上手く出来なかったと思います。
全く真逆のことですが、私は外見から癌だと分かっていただけに、告知もほとんどショックもなく、アッサリ退院出来るくらいに思っていましたが、やはり他の方が癌だと聞くと、程度に関係なく驚き、強く動揺するようになりました。
私に限って言えば、自分が体験しないことには、本当の事は分からないと痛感した経験です。
そしてこれも、全く私個人の気持ちですが、癌サバイバーと言う言葉には何となく違和感があります。
癌に程度の差は無く、完治は無いため、一生付き合っていくしかありませんし、癌サバイバーと言う言葉が後押しになっている方もいます。
しかしその言葉を盾に、復帰出来るのに復帰しない人もいると思うと、癌サバイバーと言う言葉は、いま正に癌と闘ってる人、再発の可能性が高い癌を抱えながら過ごしている人に譲って欲しいなと。
多少問題がありながらも日常生活を送れるなら、癌サバイバーの鎧を脱いで、日常生活を堂々とサバイヴして、必ず復活出来るのだと証明していて欲しい…などと勝手に思ったりしています。