すみません。
予定を変えて、もう少し脱線させていただきます。
抗癌剤治療のために12月の半ばに入院し、翌年の2月半ばに退院しました。
仮退院もありましたが、その期間を含めてちょうど3ヶ月の入院生活です。
12月31日から1月1日は病院で迎えました。
起床時間を律儀に守っていたので、生まれて初めて上ってくる初日の出をキチンと見ました。
この日は私も仮退院で、大体の方も退院だったようで、朝御飯の時には食堂に私とご年配の方が一人と言う状況でした(笑)
皆さん退院準備万端で部屋食だったのか。
朝食も祝い膳みたいな様相で、この時は抗癌剤の一回目が終わったばかりだったので何の問題もなく美味しく頂きました。
で、冒頭記載したように少し脱線しますが、入院中で辛かったワースト3を発表させていただきます。
では張り切って参りましょう!!
・第3位
禿げ頭に見飽きる
どうせ抜けるならと坊主にしました。
最初は「意外に平気だな。禿げたら坊主にしよう」なんて思っていましたが…
休薬中の仮退院期に高カロリーの食事ばかりしていたので、顔はすっかり大福と化していました。
スキンヘッドが似合う渋い男の面影などあるわけもなく、妙に白い大福顔に、ほとほと見飽きてしまっていました。
世の中のスキンヘッド男性、お坊さんを尊敬します。
髪の毛って大切。
運命は避けられなくとも、髪は長い友達(カロヤン)のスローガンで労います。
第2位
眠れない。
日中動いていないので疲れない上に、点滴針とランデブーなので気になります。
加えてイビキの大合唱。
私も仲間入り出来れば良いのですが、後れを取ることが多々でした。
たまに非常に柔らかい方が入院されるのですが、こちらの方が入院期間が長いので安らぎも続かず(苦笑)
思い返すと手術後の病室で、私は呻いていたので非常にうるさかった事と思います。
六人部屋でお一人しかいなかったのですが、その方は牢名主の如く病室に城を築き、看護師さん達に蘊蓄を語ったり愚痴ったり、消灯後もテレビを見たりしていました。
が、全くこちらのことは意に介さず、普通にテレビを見て静かに笑っていたのを、痛さに耐えつつも覚えています。
看護師さん達にはともかく、私にとっては非常に有り難かった方でした。
とか言いながら、抗癌剤治療中で同室になっていたら、普通に迷惑だくらいに思っていたかも知れませんが(笑)
第1位
利尿剤が拷問級
利尿剤が映えある1位です。
シスプラチンが体内に残るのは良くないらしく、最後に必ず利尿剤を点滴で入れられます。
それはもう凄まじい威力です。
点滴完了までは20分程度ですが、3分程度で尿意を感じ始めます。
が、そう頻繁にトイレに行くわけに行きません。
点滴の量が減ってくると、恐るべしの血液逆流が始まります。
(逆流すると血が固まって血管が硬くなる&点滴刺し直し)
薬剤を完全に入れないことには終わりません。
最初はトイレに行けても、後半は動くと逆流しかねないのでひたすら我慢です。
(点滴の降圧より血圧が勝るため)
最後まで完了して、いざ看護師さんを呼んだとしても、更なる試練が待ち受けます。
私は入院した事が無かったので、世間一般がどうなのか分かりませんが、土曜日や日曜日に通常の入院はありませんでした。
なので、週末は看護師さんも少なくなります。
そう、試練とは「休日は看護師さんを待つ時間が長い」事です。
これはもうそう言うシステムなので、我慢するより他ありません。
コールを押してトイレに行き、不運にも入れ違ってしまったら、再度待つことになります。
私は動けますが、私の病棟は外科手術を行う、または行った患者さん達が入っていたため、自由に動けない方もいました。
この事を考えると、コール後にむやみにトイレに行くと、入れ違ったかどうかは分からないので、再度コールを押すことはためらわれます。
一番の苦しみと拷問は、寝かさずに前後不覚にするよりも、人格と品格を保たせたまま、トイレに行かせない事だ…
と言っても過言で無いような気がします。
生理現象恐るべし。
次回こそ、退院から復帰編です。