人生何でも二刀流!

恥もせずに25年振りに剣道復帰。中年のボテ腹抱えてヨタヨタランニング。下手な競馬。痩せない言い訳ダイエット。いまさら自分の性格を持て余し、適応障害になるやら癌になるやら。自分に甘くとことんぬるい、人生に行き迷う私とあなたのブログです。

挨拶は老害のはじまり

この間、少年が自転車置き場で自分の自転車を倒し、他の自転車を巻き込んで四苦八苦していたので、倒れた自転車を直す手伝いをした。

大丈夫かと声を掛けると、無言。後は自分で出来るかと聞くと、無言。頷くも首を振るもなし。視線は虚ろで、自分が何をしてどうなっているかも分からない様子。ただ自分の自転車の位置を気にするばかり。

動転してるのなら仕方ないと思い、振り向けば近くに親がいるではないですか。子供を乗せた電動自転車にまたがり、私が手助けした少年を見るばかり。少年の準備が整うと「行くよ」の一言。こちらに挨拶無し。私など存在していないものとなっている。

そんな時代。

plagmaticjam.hatenablog.com

リンクの記事と若干主旨が異なるが、いまや挨拶のみならず、他人に何かをすることも大きなお世話になりつつあるんだなと感じる。子供に対しては、特に。

ここら辺で迷子と思われる子供に声を掛ける。なんてことをしたら不審者情報が出回るでしょう。よしんば交番に連れて行ったとして、私を簡単に信用するだろうか。痛くもない腹を探られるかもしれない。こちらの拒否権は機能しない。

価値観の違い、世代の違い、意識の違い、などなど。何が当て嵌まってどうなのかは分からない。『困っている人がいたら助ける』という意識、価値観でことにあたると、毛嫌いされる時代になっている。いまやどこにもいない、カミナリ親父と同じこと。

 

 

 

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落とし物を拾う。困っている人がいる。これは落とし物?あの人は困ってる?本当に?

あるいは、少し離れた場所で動画を撮っているのかもしれない。落ちているモノは演出としての小道具である可能性が捨てきれない。

冒頭の親も「なに勝手なことをしてくれてんだ。」と思ったのかもしれない。「自分でした失敗は、自分で始末をつける」という教育を徹底してるのかもしれない。あるいは、私が自転車を倒して我が子が巻き込まれたと思ったのかもしれない。そうであったとしても、お互い様の挨拶はあるだろう。

 

なんて意識が、もう老害の入り口に立ってんだな、俺。と思わせる。冒頭の少年の親が30代として、10年くらいで価値観が違う。相手に何かを期待すること。いま、私の価値観でこのまま高齢者になったときには当然、私も老害。ということ。

 

それも因果だな。とも思う。娘、息子が幼稚園に上がるまえ「知らない人から飴を上げると言われたら、どうする?」と聞いた。笑顔で「ありがとうって言う」と答える我が子に対し「それは違う。知らない人からもらっちゃダメ」と返しました。

私が子供の頃も誘拐目的のお菓子の誘いはあり、警戒が必要であったものの、十数年前には『知らない人から貰う』ことは全部ダメ。公園で遊ぶことも色々と制限はありました。今昔の大人が過ごしやすいように世の中をつくり、子供に対してあれはダメ、これはダメ。とした結果が知人以外は他人となり、警戒すべき人となる。自分の身は自分で守る。自己責任。とかとか。

隣近所でも合言葉を使う時代に…なんてことは、さすがに(自分画伯)

 

まあ近所をみれば、新築で引っ越してきた隣5軒のうち、4軒は挨拶したことがなく、内1軒は顔を見たことがありません。家の前の道ですれ違っても分からない。
かつて「LÄ-PPISCH(レピッシュ)」が『顔さえ知らずに挨拶するのさ隣人~♪』なんて歌っていました。歌にして揶揄することが出来ていた90年前半。

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