五月病もいつしか四月病に発展したようで。もれなく私も…と、流行りには乗らず、ここ数年と言いますか、十年以上は無縁のように思います。気付けば気にならなくなりました。
年齢を重ねて色々と図太くなったのか、楽観的になりすぎて意志薄弱となったのか。良くも悪くも、流行からは取り残されていきますな。
遠い昔、高校の頃から二十代までは、四月の後半から五月の前半は、なんだか気分がすぐれずあれこれ答えのないことを考えていました。生きるとは何ぞやから始まり、愛とは何だ、人はどこから来てどこに行くのか、自分とは一体なんなのか、運命とはなんなのか、とかなんとか。
細かいことは覚えていませんが、概ね思春期に一度は思うようなことをツラツラと。そんな私は、その時期を「四月の終わり五月の始め病」と名付けていました。五月も半ばになると、スッキリサッパリするから不思議なもんです。
さて、急にそんなことを思ったのは気分に変調をきたしたからではありません。
何のきっかけで聴いたか忘れてしまいましたが『死にぞこないの唄』を突然思い出しまして。そのまま受け止めると惨憺たる心持ちになりますが、生きる者への喝と受けます。最初の一節から最後まで強烈な内容です。人生を終わらせる方法は数多あれど、生きる方法は具体的には思いつかないもんですな。空気を吸ってるだけでは「生き損ない」ということですね。
そんなことを考えながらも哲学書を読む等をしていれば、あるいはひとかどの人物になっていたことでしょう。絶対そうだ。そうに違いない。
5月に向けて気合いを入れたい方、いかがでしょう?
連休の方は、メリハリの付いた休暇を過ごしてみてはいかがでしょう。
それは私に言えることだろうと。
そうです。そうなんです。
生き損なってはいけません。
無駄なものを斬ったと言われないよう…(自分画伯)
叩き斬る…
だいぶ昔のことですが、デーモン小暮閣下と大槻ケンジ氏が、最後の締めで「叩き斬ってやる」と言っていたラジオ番組がありました。
ラジオ巌流島だったか。内容はあまり覚えていませんが、好きでした。