twitterで「知識の浅さを知られたくなければ難解な表現を多用すれば良い」と言う事を例えた表現を「秀逸だ」とあるのがバズっているのを見ました。
書いた本人は常々同じ事を感じていたそうですが、主義主張と方針をひっくるめて「秀逸」としたのか、単に例え方を「秀逸」としたのかの真意が無い…
送り手と受け手に高度な理解力を課すと言うのがtwitterの恐ろしい所だなと、改めて。
鏡の中の何とやら~♪
たまに「これを打てば当たるんじゃないか?」と閃くときがあります。
この閃き打突が、自分の意思でコントロール出来れば最強なのでしょうけれど、閃きなだけに中々。
更に高段者の先生が相手になると、中々閃きません。
隙も少なく、構えも崩れないからだと自己分析。
たまに閃いて、実際に攻めると充分な打突が出来る時があります。
ですが、どうにも「ここを打ちたいなら打たせてやろう」感があるんです。
実際「よっしゃ。会心じゃ!」と言う気分になる事は少なく、先生も一応納得してくれますが「見事」と言う反応は極々稀です。
大体が「打ちたかったのはここだったよね。うんうん」みたいな感じ。
なんで???
打ちたいと思う所に打たされているとは、操り人形の如くです。
目線?剣先?気配?姿勢?態度?
目線が小手にいかないようにとか、剣先の上げ下げとか、姿勢には気を付けるようにはしています。
気配は…恐らく打ち気満々で出ています。
これを消すには、まだまだ気が回りません。
他は姿勢か態度か…
知らずにサインが出てるんですかね…
攻め方が変わって来たとか?
例えば出小手狙いなら・・・
「何となく待ってる感じがあるな。出小手か?」
とか。
面なら…
「半歩出て間合いを詰めたな。面か?」
みたいな。
知らずに前のめりとか。
ちょっと待ってるとか。
…出てるんでしょうか。
これを書きながら振り返るに、そんな気がしてきました。
常に冷静に、姿勢を崩すなと言う事か…こりゃ厳しい。
年内の稽古はこれにて終了
会の稽古は26日までありますが、個人的な事情で参加出来ません。
私の今年の稽古は終了です。
剣道に限って言えば、コロナの影響で稽古禁止期間があり、一般対象の試合も無く、何にもない一年でした。
そんな中でも三段に合格したのは僥倖です。
少ない期間で試行錯誤をし、自分なりの何かを見付ける事が出来たのは、少ない期間であればこそだったのかなと思います。
転じて合格後の最近。
どうにもダレていけません。
テーマを持って挑んでみても、何かを得た感覚がイマイチ。
来年は剣道中毒先生のメルマガのテーマに沿って、一から稽古してみるか…
なんて事を思っています。
情報の仕入れ先が取っ散らかってしまっているのは分かっていましたが、テーマも気紛れでした。
仕入れ先を絞り、稽古で実践、指導を貰い、更に深めるために各方のブログを見て参考に…
と言うサイクルで、道筋が見えるまで試していこうかと。
なんだか『真田一平命がけ』みたいな感じですね。
「ですね」と言われて「何それ?」と思う方もいらっしゃるかと思いますが…
ぶっ飛んだ内容の漫画であったことを記しておきます。
(90年まで連載していたそうです。意外に最近…)
喧嘩に強くなるため、一つ一つ課題を克服していきます。
「バッティングセンターのボールを顔面で受ける」とか…
「野良犬と勝負する」とか…
「パンチで風船を割る」とか…
「滑り台の下から上に目掛けて古タイヤを蹴って飛ばす」とか…
これを克服して…云々です。
私もテーマを一つずつ克服し、喧嘩番長になろうと思います。(←違
球種が相手にバレバレな某球団の背番号「31」と岸〇のバッテリー(自分画伯)
※20年日本シリーズ第四戦よりでございます。
また巨人はツマラン事を始めそうで…
補強は嬉しいけれども、先祖帰りだけは勘弁願いたい。