小学生の頃は勝つために叩き込まれ、中学生で典型的な国士舘大卒の顧問の下、体罰的な指導で迷走し、嫌になって高校で離れて25年を経てリバ剣して早5年。現在、三段。
小中学生時代は、ほぼ毎日剣道をしていたのですが、剣道から25年も離れていると復帰時は何もかもが別世界のようでした。小中学生って、こんな綺麗な剣道してたっけ?
そんな状況を早期に脱したく、また技術を身に付けたく、活用したのはブログ、動画、そして twitter。
リバ剣となった当初はtwitterは有効であり、有益でした。私は積極的にtweetする内容がないので、ほとんど傍観者ですが、他の方が載せる攻め方、打突の姿勢など、勉強になる内容が盛りだくさん。だったのですが、ここ最近は何だか荒れ気味です。根っこは同じで、求める先も恐らくは同じなのではなかろうかと思うのですが、その過程や解釈が個人で違う、主義も違う。twitterが議論に向かないだけに、落ち着かないんです。
解釈や主義の違いというのは、昔でいうところの『流派』のようなものでしょうか。いまで言えば「北辰一刀流」と「二天一流」のような。私はこの2つしか知りませんし、北辰一刀流が現代剣道に通じるかは分かりませんけれども。
それぞれの主義と解釈の下に、それぞれで集まって流派が生まれて、互いで意見を交わしあってなんてなれば、それこそ「交剣知愛」でしょうけど、無理でしょう。同じ神を崇めながら解釈の違いで戦争する、宗教と似たところがあるようにも思います。剣道ってのはつくづく厄介なもんですな。
深く考えずに自分が思うようにやりゃ良いじゃんとも思いますが、相手があってこその剣道で、尊重することが基本と思っています。好き勝手にやっては稽古相手も不快でしょう。学生、子供は試合もあり、勝つためが全てでないとはいえ、勝たなきゃ意味もないとも思うでしょう。綺麗ごとばかりでは済まねぇよという論もあるでしょう。
SNSから色々と考えて、この先の剣道とどう付き合っていくかなとか、自分の考えがそんなところまで来ています。そうです。飛躍しすぎですし、悲観しすぎです。
またつまらぬものを…(自分画伯)
このスッキリしない精神を、一刀のもとに叩き切ってもらいたい。