このあいだ、私が適応障害となったきっかけとなった上司が、プロジェクトを離れ退職することになったと聞きました。
彼の考えや方針と、会社の方針、顧客の進め方と思惑等々がずれたのでしょう。共にプロジェクトを進めていた時も、本当にそれで良いのか?という違和感は感じていました。ただ、彼の考えが正論であり、戦略としても合致しているので、違和感を感じながらも共に過ごしました。
しかし、顧客のプロジェクトは短期決戦でした。彼の方針と戦略は、長期で見れば正しいものの、短期的には高い理想と取られる彼の考えが、チームの足枷となったのでしょう。
私の感じていた違和感が『彼の方針が短期計画に合わなかった』と結論付けたのは、この話を聞いたときです。当時は、私だけが状況に付いていけてないとばかりに思っておりました。
みんなも違和感を感じてたなら言ってくれれば良いのにさ、ちぇっ。なんて言っても詮無いですな。プロジェクト発足時は手探り状態で、声の大きい自信家に、ひとまず従うのは仕方ないことですね。
私は会社に残り、彼は去るに至り、人と会社は合う合わないはあるのだと、実感しました。能力の如何に関わらず。
若いころ、いまの会社をクソだ何だと思っていましたが、そのクソな会社に入社したのは自分自身。会社の考えや方針を理解し、担当顧客と関係をもっていくにつれ、良くも悪くもいまの会社に馴染みました。会社の器に収まるようになったと言いましょうか、型に嵌まったとでも言いましょうか。
一方、彼は型に嵌まらず、会社を去りました。ここでは彼本人の考え、方針に賛同してついていく人がいなかった。彼の能力を発揮できる場がなかった。しかし、その能力は他で活かせることが出来るでしょう。
私はいまの会社でやれること、やるべきことがる。しかし、それはいまの会社に限ったことです。型が変われば、収まるようになるまでの時間が必要となるでしょう。
柔軟性とは、あるいはそういうことなんだと思います。
私の仕事は異動が多く、担当顧客で業種も変わります。それなりに対応してきたので、柔軟性はあるほうだと思っていました。それはいまの会社という型があればこそ。四角い箱に入るか、丸い箱に入るかというだけで、私自身は四角にならずとも、丸くならずとも良いのです。見える景色が違うだけ。
柔軟性とは、どこでも即座に力が発揮できること。当たり前のことですが『即座に』の加減を分かっていませんでした。
入れ物が変わっても柔軟に対応できるようになりたいもんです(自分画伯)
それはさておき、私はいまの会社にいる場所は、まだあるようです。いまのところ。とりあえず。
一方、首相はジョブ型雇用を推進するとのことです。型にはめる教育が主体であり、それに沿った社会が形成された中で、中年世代はどうなのか。