認知の歪みに気付くには、何でもいいから書くと良いそうですよ。ということで、思ったことを適当に書いてみようと思います。もっとも「何でもいいから書く」というのは、これから書こうとしている内容とは、意味が違うだろうとも思っていますが、いまはやりたいようにやろうじゃありませんか。支離滅裂であろうとも。
晩夏
小学生の頃は、甲子園が終わると夏休みも終わり(関東)という感じがあり、この時期は寂しさも増しますな。
十代、二十代の頃は、夏は暑いばかりで天敵の如くに嫌っておりましたが、歳も重ねるにつれ感情も変わってきました。好きではないものの、愛おしいと言いましょうか。
季節にそんな感情を当てはめるのもなんですが、冬よりは良いと思っております。
冬ってのは、年々、面倒なものでしかありませんな。着こまないと寒いし、着こむと動きづらいし。ヒートテックなんてのは、動いてなんぼのものですし。
今年は蝉も、そんなに鳴いてないように思います。というのは私個人の感想でしかないでしょう。
自宅近辺では、古い家屋の住人の半分以上が入れ替わり、すっかり新築の住宅が揃いました。隣近所の 300坪くらいは新築に変わったかと思います。
かつての住人は土地も広かったので必ず庭がありましたが、いまはそうも行きません。四軒建っていた土地に、十軒建っております。建築技術とは凄いものですが、緑を与える余地はないため、自然と蝉も減ったものと思われます。野良猫も見かけなくなりました。
この間、墓参りに行ったのですが、蝉の骸も目立ちます。それは何というか、夏の恒例のような気もしますので、特にどうとも思いません。命が尽きかける前のセミの突然の動作を、蝉ファイナルともいうそうな。
それはさておき、カブトムシの骸が累々と横たわっていおりました。蝉よりも多かった印象です。驚愕。驚愕の荒野。
虫の飼育なんてのは、とんとやらなくなったであろうことは認識していましたが、カブトムシが貴重だったというのも、もうとうの昔なんですね。
夏ってのはこんなもんですかね。コロナだからか。私が歳をとったからか。
今日日『夏と言えば〇〇!』みたいな、共通認識はあるのでしょうか?
海だ、山だ、TUBEだ、サザンだ、オメガトライブだ、みたいな。
新しく描こうと思ったら失敗したので転載(自分画伯)
私自身、夏と聞いてワクワクキラキラした記憶がそんなにありません。とはいえ、うるさいくらい、夏だぜ!ヒャッハー的な雰囲気があったように思うのですが、こんなだっけ?
爽やかテイスティ、コカ・コーラ。
みたいな、そんな単純さがないような気がします。いつからだ?