ここ最近、著名な方々が亡くなるニュースを多く聞きます。オリビアニュートンジョンも亡くなり、小林清志も亡くなり。
暗い話は気が滅入りますな。自分の精神状態にかかわらずです。明るい話はないもんですかね。
感情とは何と厄介な
適応障害の診断前後、感情の起伏は非常に乏しい状態でした。競馬はやっておりましたが、常に「こんなことをしてて良いんだっけ?」という思考状態だったので、趣味というよりは幾らか作業に近いような状況でした。
イライラするとか、怒りの感情はいっさいなく、負の感情のすべては自分を責めることに向いていました。
自分のすべてにうんざりし、思考が進まないことに絶望していましたが、希死念慮はありませんでした。そこまでの元気が無いといいますか、考える余裕が無いといいますか。現状ばかりに捕らわれているので、未来どころか少し先のことも考える思考力はありません。
さて、そんな状況もここ数日で変わってきました。
マイナスばかりだった思考も幾らか落ち着きつつあります。負の感情の全てが自分に向くということも減り、良い感情も悪い感情も、その揺れを感じるようになりました。
要するに、元気になってきたのです。
思考が落ち着くにつれ、自分の来し方、行く末を改めて見つめる余裕が出来ました。
来し方はどうにもなりません。それだけに行く末を思うに暗い気持ちにもなります。
過去の自分がいまに繋がり、未来に繋がっていくのなら、果たして未来に何がある?
生きている意味ってなんだっけ?家族はもちろん、何の良い影響も与えることが出来ないなら、存在に意味が無いのではなかろうか?のような。
元気になることは簡単ではないことだと
希死念慮とまでは至っていないと思っています。もとより願望はありません。
元気になるということは、悪いことに気付くようになり、悪いことをより良く見ることになるんだなだと、そう感じました。
悪いことに呑み込まれ、一歩先にいってしまうというのは、自分で思うよりも紙一重であるようにも思います。
悪いことに対峙したそのとき、吞み込まれるかどうか。それが私の次の段階のようです。
健全を望むなら、逃げるわけにはいきますまい。
クリスタル・ボーイ
「残っていてね。人間の時の記憶が、俺の中にまだ少し。」
暗い話は聞きたくない(自分画伯)
戦争もそうですが、どんなことでも人の死というものは。なんとも。