中国人からしてみると『中国は弱い国に協力して、皆で仲良く、協力しようと言う考え』で、現状は『世界中が中国をイジメている』と感じているそうです。
現在の体制については『大きな国を纏めるのは強いリーダーが必要。民主主義ではとても無理』とのことです。
とは言え、一人だけの見解と意見ではありますが。
パワハラ問題継続中
半年ほど前、パワハラ的な事案がありと言うブログを書きました。
解決したかと思っていたのですが、続いておりました。
彼が言うには『上司が…』との事だったので、矢面に立たされたのですが、この「上司」と言う括りが曖昧なので、今回は念を入れて関係者が増えます。
「上司」が曖昧と言うのは、私が勤める会社は職位と職務が一致しない事が多いからです。
私は立場は「所長」です。
職務的には一番上ですが、職位としてはリーダー職の先輩社員が上です。
更に私の直属上司は、上司と言う括りではありますが、私より一回り下で職位も下です。でも上司です。
要は役割で職務を与えられているので、職位の上と下で偉いかどうかと言うと、そうでも無いのです。
私の上司は私よりも経験が浅いので、知識と知恵も私ほどにはありません。
しかし私とは見る視点が違うため相互に補う事が出来ます。『違う部分をどう尊重しあえるか』と言う前提で、各事務所の運営が成り立っていると理解しています。
ですが、もちろんこの枠に嵌らない考えの人もいます。
「上司の命令が絶対」と思う人や、本部からの小僧(小娘)の話は聞かんと言う人もいます。
パワハラ問題の根底はここが発端だったなと
その方は職位は上でしたが職務は下でした。
年齢もかなりの大先輩で、技術と知識は申し分ないはずだったのです。
しかし転職入社の彼は、自分の職位と職務に無頓着で、求められている事が何かを自覚していませんでした。
職位は私より上だったのですが、やっていた事は単純オペレータレベルの事でした。
私も一部のリーダーも、ここの会社では良くある事として当たらず触らずにおりました。
しかし彼や私よりも職位の下の先輩社員が黙っていません。
そのうち、別のリーダーが彼に対して職位にあった職務内容の変更を求め始めました。掛かる経費は事務所持ちであり、台所事情も変わり始めたため、私も彼に職務内容の変更を求めざるを得なくなりました。
段々とちぐはぐになっていく…
ここからボタンの掛け違いが起こり始めます。
経験と知識は間違いないのですが、事務所が抱える顧客にマッチした業務がありません。
では経験を元にリーダー的な視点や、他の仕事に知識が応用出来るかと言うと、彼は生粋のオペレータだっただけにそれも叶わず。
リーダーとの面談、私との面談を繰り返し、上司の面談も入りましたが溝は埋まらず。
遂には適任地と思われる所に異動となったのです。
彼が言う上司とは?
彼を取巻く「上司」とは、リーダーなのか、私なのか、私の上司なのか、細かく言えば彼と組んだ年下先輩もいます。
関係上司が複数いるため、今回は対象者を拡げての聴聞会となるのです。
思い当たる節はありませんが、一点、引っかかる事が…
過去にどうにも考え方と意見に一致が見られず、私もいい加減イライラした時がありました。
例えて言えば…
『金閣寺は金で出来ていない。周りが勝手に誤解した』的な事を言ったことがあります。
私はそれに対して
「金閣寺は金粉が貼ってあんだろ。蒲焼はカバ焼かねえだろ。誤解じゃねえ。あんたのネーミングセンスの問題だ」と返しました。
金閣寺云々はニュアンス部ですが、蒲焼の下りは本当です。思い返すと私も何言ってるか全然分かりませんね。
中学生の口喧嘩です。
して、これは果たしてパワハラか?
唯一引っかかるのは、これかなと。
ハラスメントは難しい
彼は数十年前に中国から日本に来て、日本で家庭を築き、子供を育てております。
私とは違う経験、違う視点を持ち、人としては全く問題が無い人生の先輩です。
その気持ちは「蒲焼」発言の一時を除き、忘れずにおりました。
現に、各飲み会で「天安門事件」や「文化大革命」の時代の様子を聞きました。
大概酔っ払っていたのでフンワリな印象でしたが、それでも貴重な話です。
最終的には「鄧小平先生、万歳」と酔った勢いで共にやったこともありました。
毛沢東だったかも…江沢民ではなかったはず…
でも、それとこれとは別なのです。ハラスメントは客観よりも主観。「やられた」と言われれば、言った方がまずは正義です。
あるいは鄧小平か毛沢東か江沢民かも分からず「万歳」を適当にした事を見抜かれていたのかも知れません。
実はその恨みかも。
鰻の逆襲
難しいのは、私が社会人になったころには「ハラスメント」が一般化していなかったことです。
ほんの7、8年前に、私は顧客から資料を「くしゃくしゃぽい」とされました。
メンバーの前で。
それを拾い上げ、シワを伸ばし『しかしですね、これがこうで』と食い下がった記憶があります。
いま思い返すと、その場面は割とギャグマンガですね。
そのギャグマンガのオチは「それでもダメ」でしたが。
それが今の自分の大きな経験に…とまでは言いませんが、他の面でもこのお客さんには鍛えられました。
「くしゃくしゃぽい」は余計な経験ですが、笑い話として有効活用しています。
若手メンバーにはこんなこともしませんし、苦労とハラスメントは主観である事も心得ています。
ですが、先輩に対して意識も緩みます。
接している時に『あんたもそんな時代を過ごしてきたんだろ?』と言う考えが、ちらと心を過ります。
その瞬間が…先の蒲焼発言に繋がるのです。
自分の身は自分で守る!(自分画伯)
手抜き絵も、あとは紫龍と一輝のみ…
時に、私は蒲焼が食べられません。
と言うか、鰻自体が食べられません。
浦和は蒲焼が名物なだけに、我ながら残念なものです。
そんな私が「蒲焼き」で窮地に立たされているっぽいです。
蒲焼を避けていたが故に蒲焼発言で足を取られるとは、なんと因果な…