5ナンバーのセダンが潰えていくようですね。
私はホンダのGRACEに乗っていますが、遂に生産中止とか。
主観ですが、とても良い車なだけに悲しい事です。
セダンとなると、3ナンバーくらいなものです。
立地的に3ナンバーだととても面倒なので、
GRACEを最後にセダンタイプとはサヨナラになりそうです。
トヨタはさすがの安定性ですが、見た目がツマランし…ホント、車は道具と化しましたね。
ホンダGRACE
車を運転すると言う道楽時代には戻りようもないので、ますます車の道具化は進み、車離れも進み、より道具になり…
寂しい事ですな。
プロレスとカニカマの共通点
突然ですが、カニカマは偉大です。
蟹のような風味を感じつつも、蟹では無いため価格も普通。
当然美味しい。
何より、蟹では無いのに堂々としている。
先週、プロレスについて書きましたが、プロレスの迫力は今も昔も変わりません。
贔屓のレスラーはいませんが、観ていて手に力が入ります。
プロレスとカニカマ、本物では無いけどそれについて文句が無いと言う点で同じであり、不思議な事です。
プロレスとは何ぞや??
書いておいて何ですが、プロレスが本物では無いと言うと語弊があります。
殴る蹴るを始め、飛ぶ、投げられる、関節を決めらる事が本物であるのは疑いようもありません。
何よりダメージを逃がす技術と死なない技術(稀に不幸な事はおこります)は、超人的な肉体と精神が無いと務まらないと想像します。
しかも観客を惹きつける演出も目まぐるしく変わる展開の中でやっているとなると、華やかなリングに立っている選手は超一流に違いありません。
しかしながら試合は大体の筋書きがあり、選手個人の演出があります。
谷津嘉章元選手の自伝の中に「出血足りないから切るぞ」とレフェリーに傷をえぐられたと書いてあるのは、読んでいてお尻がモゾモゾと落ち着かなくなりました。
(個人的な事ですが、痛い話を聞くと何故がお尻全体が微妙な痛みと共にモゾモゾとしてきます。)
プロレスはリアリティショーである事は暗黙の了解であったり、公然の秘密であるかと思います。
誰かに見せる、読ませるものに、本物は無いと感じています。
感動の実話は、当事者にはそこまで感動でも無かったりします。
怪奇現象は振り返れば怪奇な感じがするだけで、現場にいる分にはそんなに怖くはありません。
プロの手が入ることにより、より感情を揺さぶられる作品に仕上がるのだと感じています。
プロレスもカニカマも、プロの手によって人を楽しませる、喜ばせるものになっているからこそ、潰えることなく歴史が続いているのですね。
と、ここまでは前に下書きにあったのですが、何となく締まらないので『金曜日の過ごし方』のタイトルの方をアップしました。
そんな中、折しもリアリティショーで不幸な事がありましたな。
前述の通り、プロレスラーは演出家も兼ねています。
対戦相手の動きを読み、観客が求めている事を感じ取り、あうんの呼吸で試合を進める事で、輝くリングに立てていられたと想像します。
番組そのものを見てはいませんが、プロレスラーだけに演出については抜きん出ていたでしょうから、周りに対する影響も強くなったのかと思うと、プロの魂が逆に振れたのは不幸です。
作り手がプロレスとカニカマの精神では無いのは当然です。
しかし、捉え方はもっとカニカマ的なスタンスでいても良いのかなと。
美味しいけど、偽物だよねと。
プロレス的スタンスは熱くなってしまうので、そのスタンスでは見れませんけれど。
アブドーラ・ザ・ブッチャーのあの傷は、何度も何度も自分でつけたかと思うと、お尻のモゾモゾが止まらない。(自分画伯)
どうでも良いですが、寿司ネタに「蟹」って要ります?
普通に食べた方が美味しいと思うのですが…
酢飯に合わないですよね?
※感動の実話の薄い話と、怪奇現象の微妙な怖さについては体験済みですが、分かりにくいので現在お倉です。