後悔が増えて可能性が減る…
と書いたのは、確か村上春樹だったような。
「可能性が減り後悔が増える」でしたっけ?
村上春樹は高校の頃に良く読み、アッサリかぶれました。
そんな私は今になって夏目漱石を読んでいます。青空文庫ですが…
昔の人たちの何でも無い生活が伺い知れて、興味深いです。
私の祖父母は明治と大正の人でしたが、当時のアレコレについてどうだったか、生前に聞いておくべきたったなと…
太宰治はどんなだったかとか、二・二六事件とか、ロシア革命とか。
もっとも『関東大震災』と『第二次大戦』の話しか聞けませんでしたが、それこそも満足に聞けなかったのは後悔です。
奇しくも『後悔』と言う単語が出ました。
ちょっと円滑な入りかと思ってみたり…
そうでも無いか。
未だちょいちょい思い出してはジタバタさせられます。
剣道にまつわる嫌な記憶。
記せば楽になるかと思い記します。
ここにあると言うことはお蔵では無いですね。
強烈に残ってる記憶は『中学時代』です。
小学生の頃は毎日休みなくある剣道に、ひたすら疲れていました。
とは言え肉体疲労だけでしたので、意外に楽しんでいたのかも知れません。
では張り切って…
『ちちんぷいぷいぱらりんちょ!なんじゃらほんじゃらなーるたん!』
若林志穂は…なぜああもなってしまったのか。
白籠手をうっちゃる
最近ブログに書きました。
中二で籠手がボロボロになり、代替りで部長になるのですが、
何を閃いたのか「この機会に白籠手にしよう!」と思い付きまして。
当時は『男子は黒(紺)女子は白』と言うのがお約束だった(と思う)ので、
男子で白籠手は私しかいませんでした。
地元の由緒ある剣道店の二代目自らが採寸、手縫いで仕上げた逸品。
値段は知りません。
高校になり父親と揉めに揉めても剣道を投げ出し、
一年程度しか経っていない逸品を、兄の知り合いにアッサリうっちゃると言う暴挙。
何だか各方面に申し訳ないです。
女子部員への暴言
小学生の頃に六三四の剣並みに剣道をやっていたので、熱意は無くても剣道貯金はあります。
なので、初心者から始めた上に、女子部の顧問に愚痴ばかりの女子部員を、かなり下に見ていました。
新人戦だと思いますが、女子は一回戦負け。
女子選手達は泣いていましたが、そこに私の一言…
「そのくらいで泣くなら、もっと真面目にやりゃ良いじゃん。あの程度(の練習)で勝てるわけねぇだろ」
当然、女子部員たちは猛反発でした。
……練習量とかでは無いですよね。悔しさって。
二度とやらねぇ発言
自分の馬鹿さ加減に呆れます。
中学からすっかりスランプになり、剣道に対する気持ちはもちろん、既に目が死んでいたと思います。
小学生時代の剣道貯金も底が見え、中学三年にはカツカツになっていました。
最後の大会は後一つで県大会だったのですが、力及ばず負けました。
ちょっとホッとしたのも正直な所です。
後輩から「残念です」と言われた時は
「まあな」と一言で済ませましたが…
後日「あんなもんは二度とやらねぇ」とか、まだ先のある後輩に言って回ったような…
なんとまあ…
中学生って恐ろしいですねぇ。
怖いですねぇ。
それでは皆さん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
…難しいなぁ(自分画伯)
試合は数多くやっていたので一つ一つは覚えていませんが、最後の試合は良く覚えています。
大将だった私は代表戦に持ち込まれ、代表にならずに下がりました。
その時、顧問に「自分が出ます」と言えなかったのは後悔ですが、小中の剣道を通して唯一誇れる後悔です。
その時に自分が『出ます』と言っていたら…
勝っても負けてもすっきり終われた事で、本当に二度と剣道をやっていなかったかも知れません。
オマケに一つ…
思い出と言うには醸しかたが浅いですが、無観客大相撲を見ながら「無観客故に合気の感覚が良く分かる」みたいなことをのたまっておりましたが…
記憶の扉が開きついでに「…もしかして内容被ってるのでは」みたいな恐怖に襲われまして。
その方のブログを確認したら…あわわわわ。
やってしまいました。
私は剣道を再開し始めたときに読んでおります。
当然、内容の全てが同じではありませんし、そちらの内容は結論付けているので、私は足下にも及びません。
しかし素材が…気を付けないといけません。
この場を借りてお詫びします。
過去も現在も…我ながらやれやれです。
穴があったら入りたいとは、このこと。
ユンボ持ってきな!(自分画伯)
はーい。
「ユンボ」でこれだけ出てくるとは…ちょっと驚きました。
穴掘って逃げろ!