人生何でも二刀流!

ランニングと剣道の趣味二刀流。2011年頃から走り始めてるにも関わらず、ハーフは2時間切れずフルは未経験(2019年11月現在)。剣道は2016年に約四半世紀振りに復活のリバ剣。過去10年の経験がありながらも未だに中学のガチャガチャ剣道から卒業出来ず右往左往。剣風って何ぞ!?そうだ二刀だ!と決めたものの師範に言い出せず、所属の剣友会以外でちょぼちょぼ二刀をやったり辞めたり(笑)意識が高いブログに刺激を受けつつも自分に対してはトコトン甘い。ラン有り剣道有り癌有り、ちょっと筋トレ有りの落ち着きのない日常。

【久々の剣道】「五常」礼を以て己を律する・・・とか、どうだろう

久し振りに稽古に行きました。
二ヶ月振りでしょうか…

休むのは罪と言う時代に生きてきた中にあっては、大人になってもその感覚が抜けません。
来年は三段も控えているので、マメに出席することを目標としたいです。


そしてもう一点、今更ですが『礼に始まり礼で終わる』と言う精神の『礼』を意識したいと思います。
精神的な修行をする・・・と言うと大袈裟ですが、ずっとモヤモヤしていた事の一つの答えが『礼』にあるのかと思いまして。


剣道=精神鍛錬と言うイメージは広くあるかと思います。
過去、フェンシングをやっていた時も「マスクは容易に外してはいけない」と言う剣道の流れを汲むルールがありました。
西洋文化なのに。


キツイ稽古も然りです。
子供の頃、手荒な稽古を経験された方も多いと思います。


小学生相手に容赦なく突きを放つ機動隊員
小学生相手にかちあげる様に体当たりして倒し、容赦なく竹刀を打ち下ろす機動隊員
掛り手の動きが鈍いと壁に投げ飛ばす機動隊

全部同じ方です(笑)


当然、いまの子供たちにはこんな手荒な事はしません。
何故か?昔は良くて、いまはダメ。何故か?
精神修行と言えるのか?
であれば、わざわざ剣道で無くても良いのでは?
剣道での体罰は、ある程度は容認されて良いのでは?
剣道って一体何だ?


と言うような事をずっと考えていました。
過去、経験した稽古を否定すると、いままでの自分を全否定するような気がしていたからです。
長蛇の列に並んでやっと食べたラーメンを不味いと思いたくないような・・・違うか(笑)


ちょっと前ですが、浅田次郎の著作を読んだときに、主人公が年配者に『五常の「礼」の意味が分からない』と言うような事を尋ねます。
五常に礼があって、法が無いのは何故かと。


年配者の解は『孔子の生きた時代に「法」は無かった。「礼」がその代わりとなって一人一人が自ら律した。人間が堕落して「礼」が廃れたから「法」が出来た
主人公は目から鱗が落ちたとなりますが、私もそうでした。


五常は袴の襞にあります。
「打って反省、打たれて感謝」と言う奇特な教えは剣道独特かと思います。
試合で勝っても雄叫びを上げず、ヤジを飛ばさず、応援は拍手のみと言う姿勢は、もはや剣道だけではないでしょうか。
これらは礼を以て挑めばこそ、その姿勢を貫けるのかなと。


であれば、無駄に手荒な稽古はせずとも良く、どの相手にも礼を以て挑んでいれば、体罰も不要なわけです。
礼節を重んじる事が、自分にとっての厳しい稽古なのかなと。

自分なりの答えではありますが、モヤモヤした気持ちが晴れました。
同時に、いままで何も考えずに剣道やって来たんだなと、改めて思いました(笑)


礼を以て自分を律する事を信念に、剣道のみならず実生活にも挑みたいと思います。・・・試みたいと思います。


無駄に手荒な稽古は嫌でしたが、元立ちの先生から「ほれほれ」「遅い遅い」「もういっちょ!それそれ!」と振り回されるのは、追い掛けっこ的で嫌いではありませんでした。
壁に投げられた時は、わざとぶつかりに行って反動で戻るとか、一瞬、壁にもたれて休憩するとか。
あるあるの方も多いかと。


やはり自分にとっての剣道は剣の道よりMの道

その点はだいぶ鍛えられた気はします・・・無駄に。


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文字だけなので、大佐召喚

「まだ終わらんよ」とか
振り回されても、表情変えず言ってのけたいですね。



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